本法寺 沿革

名称:山号は頂昌山 寺号は本法寺
宗派:身延山久遠寺を総本山、池上本門寺を大本山、真間山弘法寺を本山とする、
宗祖日蓮大聖人(1222〜1282年)が建長5年(鎌倉時代1253年)に開宗した日蓮宗です。
お題目は「南無妙法蓮華経」をお唱えします。
位置:松戸市和名ヶ谷のほぼ真ん中に位置する和名ヶ谷中台に約1000坪の寺領があります。
建物:山門、本堂、庫裏、檀信徒会館、日蓮大聖人像、水屋等があります。
ほとんどが昭和57年頃建て替えられた建物です。
大同2年(807年)
真言宗の開祖、空海(774〜837年)がこの地を訪れ、
浮ヶ谷山通源寺という真言宗の寺を創設。
年代は不明だが後に真言宗から天台宗に改宗。
建治3年(1277年)
永仁元年(1293年)
日蓮大聖人の直弟子、6老僧のひとり伊豫阿闍梨日頂上人(1252〜1317年)が
天台宗から日蓮宗に改宗、浮ヶ谷山 通源寺を頂昌山 本法寺と山号、寺号を変えました。
通源寺の住職は日頂上人の弟子となり但馬阿闍梨日宣(〜1360)と改名して
本法寺の第1祖(初代住職)になりました。
日頂上人は正応5年(1292年)より永仁2年(1294年)の3年間、
本法寺に住居し下総の布教活動をしました。
その後、生まれた故郷の駿河の重須で活動をされました。
天文7年(1538年)10月7日
小田原の北条氏綱、氏康と安房、上総の里見義尭、足利義明との「鴻之台の役」と呼ばれる戦があり、
本法寺は里見軍の野営地であった為、北条軍によって焼かれことごとく焼失しました。
わずかに釈迦如来堂のみ消失を逃れて、
その如来堂を基盤にして後に現在の地に移り再興しました。
年間行事
1月 |
新年初祈祷会 |
3月彼岸中日 |
春季彼岸会 |
8月1日 |
新盆会 |
8月19日 |
孟蘭盆施餓鬼会 |
9月彼岸中日 |
秋季彼岸会 |
11月12日 |
宗祖お会式 |
12月22日 |
北辰妙見星祭 |
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